2010'03.29 (Mon)
姿を変える霊峰富士

古くから、霊峰富士と呼ばれる富士山。
そこには、神が宿り、日本の山岳信仰の中心でもあります。
夜明けを待つと、そこには朝日に染まった、朝焼けの富士がありました。

陽が上ると、周囲は雲ひとつなく、富士はその姿を青空のキャンバスに
浮かべていました。
富士は、長い歴史の中で何度も噴火を繰り返し、溶岩が流れ、このような
美しい稜線の成層火山となりました。
富士の山頂には、黄色、赤、黒、3色の溶岩があります。

午後の富士は太陽とのコントラストで、そのシルエットは神々しさを一層
引き立たせてくれました。
日本の象徴、霊峰富士。日本に生れて良かったな、と思える自然の美しさ。
桜の開花が始まった3月の末、今日の箱根は「雪」だということです。
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2010'03.26 (Fri)
石上神宮番外編 不動明王が現れた

日本最古の神宮とも言われる石上神宮。神宮の境内から、三輪山
大神神社へと続く山の辺の道があります。
ちょっと気になってその道の方向へ足を延ばしてみると、そこは、
しっとりと鎮まった、落ち着きのある林でした。

そこで目に飛び込んで来たのは、すらりと伸びた一本の杉の木でした。
木漏れ日を浴びてすくっと伸びたその杉の木には、生命のエネルギーが
満ち満ちています。

その杉の木の一部に、私の眼は瞬時にして、釘付けにされたのでした。
なんと、そこに不動明王が現れていたのです。
すらりと伸びた杉の木の一部だけが、明らかに何かしらのエネルギーによって
隆起したと思われるこぶのようなもので浮かび上がり、不動明王に見えます。
不動明王と言えば、炎と剣がトレードマークですが、その体の横に、剣も
しっかりと浮かび上がっています。

仏は神の姿の一つの現れであり、日本もかつては神仏習合として神と仏が
一体化され、また神社と寺も同じ境内を共有していた時代もあります。
石上神宮に仏が現れたとしても、何の不思議もないでしょう。
それ以上にあまりのリアルさに驚いてしまい、思わず不動明王真言を三唱
したのでした。
不動明王真言
「ノウマク サーマンダ バーザラダンセンダ マーカロシャダ ソワタヤ
ウンタラター カンマン」
それにしても、リアルですね。神々の世界は未だもって人間には理解できない
深く尊い世界です。
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2010'03.19 (Fri)
春分からの3ヶ月のアスペクト

3月21日 春分ですね。
太陽が真東から上がり、真西に沈む、1年の中でとても重要な時です。
春分の十字の瞑想
春分からの3ヶ月の、地球を中心にした主なアスペクト(会合)は以下の通りです。
コンジャクション=合
オポジション=衝
3月22日 地球と土星のオポジション
3月23日 上弦の月
3月30日 満月
4月 6日 下弦の月
4月14日 新月
4月22日 上弦の月
4月28日 満月
4月29日 水星と地球のコンジャクション(内合)
5月 6日 下弦の月
5月14日 新月
5月21日 上弦の月
5月28日 満月
6月 5日 下弦の月
6月12日 新月
6月19日 上弦の月
6月26日 地球と冥王星のオポジション 満月
6月28日 水星と冥王星のコンジャクション 水星と地球のコンジャクション(外合)
春分の前後は、太陽に意識を向けて、感謝の気持ちで生きたいものですね。
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2010'03.18 (Thu)
冨士御室浅間神社

春の足音が聞こえてきましたね。寒がりの私にとっては、嬉しい季節の到来です。
少し前になりますが、富士河口湖畔の冨士御室浅間神社に行ってきました。
参道の先には富士山が見えます。まさに冨士のお膝元。

社名の「御室(おむろ)」は、かつて石柱をめぐらせた中で祭祀を執り行って
いたことによるもののようです。

この日も天気は良かったのですが風が強い日でした。
境内にはまだ雪が多く、しっとりと静かな佇まいを見せていました。
この神社は文武天皇の時代(699年)藤原義忠公により、富士山に最初に
祀られた神社と伝えられています。

祭神は、ご存知 木花咲耶姫(命)。
延暦19年(800年)、貞観6年(864年)富士山大噴火により社殿が炎上し、
幾度か再興されましたが、炎上を繰り返しました。
現在の本殿は、慶長17年(1612年)時の領主 鳥居土佐守成次公により
富士山二合目に造営されたもの。

慶長17年(1612年)以来富士山二合目にありましたが、積雪風雨などの
厳しい気象条件の中でたびたび修理が行われ、余りにも厳しい自然条件の
中にあって永久保存が至難であるため、昭和48年この地に移築されました。
冨士御室浅間神社は武田家の崇敬が深く、信虎公、信玄公、勝頼公の
文書を始め、県指定の文書が数多く残されています。
古き時代の神社や古文書が時代を越えて保存し、受け継いでゆくことは
とても大切なことですね。
さて、私は、今年の夏もまた冨士に登るんでしょうか。笑
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タグ : 富士山
2010'03.15 (Mon)
「左と右」についてのお伝え

久し振りに、ひふみともこ先生に下ろされた神示をお伝えします。
「左と右」について(神誥記より)
************
神から人へ。
神から人へ。神から人へのお伝えには、明日にも今日にも意味のあり。
日々に続きてゆくなれば、もらさず書きて、残してゆけよ。さにて本日、何を問うや。
(左と右の意味について、お教えください)
左と右とは対なる概念。どちらが尊くどちらが低い、そは人間の考えしこと。
神にはどちらも等しき位置なれ、どちらが先にも、後にも同じ。
なれど、神にも順番あれば、神に向かいて左を高く、右を低くが順番なり。
なれど古代の神の国には、さなる争い、いさかいありき。今に残れる古事記の逸話は
今も語りて継がれおろう。
なれど、真の神ならば、さなる違いは些細なことにて、かえりて下らぬ違いのことなり。
左に回るも右に巡るも、同じところに還らざるや。
左というも、鏡に写さば、右と映るは偽りか。右から見れば、左なり。左より見れば
右となるらん。
神の世界に相対はなし。常にそのもの、それのみが、常に中心、核ならん。
なれば位置とは相対なりて、どちらに置こうと意味のなきこと。
ただ人間は区別を尊び、順番、差別を望むものなれ、ただそのための違いを設けき。
さにて相対、普遍ならざる。なればこそ、補うことも能うもの。
もし絶対ならば、何も適わず。ただ厳然と変わらず、動かず。なればこの世は
進歩もなからん。
対の概念それこそが、この世の原理の元なれば、相対それも循環ならずや。
あるとき右に見えるものさえ、さらに右から眺むれば、そは左なり、右ならず。
なれど左があればこそ、右もあるなり、補いなり。
補い合うこそ、進歩なれ、一つの完璧完全は、それにて止まり、進化なし。
補うためには、不足が必要。不足のためには、対が要るらん。
男も女も対なれば、一つの性には完成なし。
なれど性にも二つ意味あり。男の性には男の働き。女の性には女の役割。
なれば補い、助け合い、この世の救いも、進みゆくもの。
男と女を下ろせし神には、この世の立て替え直しのためには、男と女を共に使いて、
それぞれみ役を授けられき。
そのみ役とは、「いろは」と「ひふみ」。互いに補い、助け合えよ。
祈りの中にも、言霊にも、神の願いの込められぬれば、今その意味を読み解けよ。
明日には明日の教えあり。明日はその意味伝えなん。
「いろは」の願いと「ひふみ」の祈り。この世をいかに救いてゆくか。
これから始まるその前に、心高めて導きゆかん。
まだ尚早なれど、神は急ぎて、二つの意味を伝えんとさる。
さにて、本日、陰陽と、対の神意を示したり。さにて。
************
以上です。
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