2010'09.29 (Wed)
天橋立と、もうひとつの元伊勢
今回は横浜から約600km、ずっとひとりで運転してきました。
早朝6時に横浜を出て来たのに、もう夕暮れ。
いよいよ明日の早朝、今回の最終目的地、元伊勢籠(この)神社&真名井神社です。
真名井神社のある場所は、歴史上大変意味のある場所で、人類のルーツに
遡ることができます。

さて、籠(この)神社。
天橋立(あまのはしだて) のすぐ近くといえばわかりやすいでしょうか。
かれこれ20年振りに訪れて以来となります。
あの時は冬でしたから、車のタイヤにチェーンを巻いて、大変だったなぁ~。
天橋立は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、天に昇るはしごを誤って倒して
しまってできたと言われています。
天にかかるはしごとして見る「股のぞき」は有名ですね。
20年前は、神社なんて目もくれなかったなぁ~。笑

この神社は、代々、海部(あまべ)氏が宮司として使え、現宮司さんはなんと
82代目となります。
これだけ長い歴史のある神社が世襲一系統のみによって守られて来たというのは
大変珍しいことで、籠神社の海部氏家系図は国宝となっています。
海部という名前からして、海からやって来たのか、海を守る役割なのか
どちらかの由来があるのでしょう。

今夜は、歴史のある 文人の里 清輝楼(せいきろう)に泊まります。
この宿は宿自体が文化財なんです。
さて、今夜は、弥栄いやさかの酒盛りだぁ~。
あ、素泊まりでした。笑
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2010'09.28 (Tue)
次元を上げる ただひとつの道

人生は長いようで短いものです。
再び繰り返すことはできません。
だからこそ、この一瞬一瞬を 精一杯 生きなければなりません。
なんとなくそうはわかっているけれど、人生の選択は一人ひとりの
自由意思に任されています。
だから甘えてしまうんですね。
人生の時間の使い方を決める権利は、自分にあるということです。
裏を反せば、その責任もすべて自分で負わなければなりません。
日々、成長をしようと努力する。
堕落と怠惰の人生を送る。
「足る」を知り、慎ましやかに暮らす。
際限ない欲を追い求めて、搾取し続ける。
他人の幸せを願いながら生きる。
自分だけが豊かになればいい。
終末の時に納得の行く人生を送りたい。
今だけ楽しければ、それでいい。
いずれも、すべて自分の思った通りの人生を選択できます。
しかし、権利と責任は表裏一体で、選んだ人生の責任をすべて自分で
負わなければならないことを知らない人が多くいます。
人生の縮図は、例えば、子供の夏休みと宿題の関係によく似ています。
子供たちは、夏休みの終わりに、あわてて宿題をやるだけ可愛いものです。
大人たちは「宿題」をやらずに、夏休み(人生)を終えてしまいます。
ここから先は、気付いた人が変わるしかありません。
もうすべての答えが用意される時代は終わりました。
自らが感じ取って、受け止め、行動に移して行くしかないのです。
それこそが次元を上げ、地球を浄化して行く「ただひとつの道」なのです。
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タグ : 次元上昇
2010'09.27 (Mon)
出口王仁三郎の禊の場 天岩戸神社

元伊勢皇大神社からご神体のピラミッド日室岳を望む方向に、奥宮として
天岩戸神社があります。
天岩戸(あまのいわと)、それはスサノオの乱行を見かねて天照大御神が
お姿を隠された場所。
神話の世界では欠かすことのできない有名な場面、場所ですね。

元伊勢天岩戸神社は、皇大神社からは相当、下に降ります。
正式名称は天岩戸大神宮。
細い階段を下ると、大小様々な石の河原の間を綺麗な水が、お社を見上げる
ように流れています。

お社は、鎖で大きな岩をよじ登るように上がらないと行けません。
つまり、普通の人は遠くから眺めるだけになります。

お社の横には、天岩戸と思われる巨大な岩が、まるで意図的にそこに
置かれ川の流れをせき止めたのではないかと思わせる配置になっています。

元伊勢皇大神社、天岩戸神社周辺はかつてから聖地とされていましたが、かつて
昭和初期まで絶大な勢力を誇った「大本」の開祖・出口ナオ氏と出口王仁三郎氏が
皇大神社を真の元伊勢と崇敬し、天岩戸神社の清水で禊ぎを行ったと言われています。
ここは不思議と、静寂に包まれた、まったく荒らされていないご神域です。
ご由緒を見てみましょう。

改まって畏(かしこ)まることなく、大自然への感謝の気持ちが自然に持てる、
ステキな場所です。
しかし、この神社の本殿はスゴイ所に立っていますね~。
よくぞこの岩の上に建てられました。
今この時代、岩戸開きと言われる中で訪れた元伊勢天岩戸神社。
私たちは、本当の意味での岩戸開き、心の岩戸を開かなければなりません。
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2010'09.21 (Tue)
ご神体、ピラミッドと夏至の謎

近畿の五芒星の一端をになう元伊勢皇大神社の本殿から200m程行くと、
そこは、ご神体遥拝所になっています。
そこから見える景色は圧巻です。
わずか数百メートル先に、皇大神社のご神体と言われる、なんとも美しい
ピラミッドが現れます。

その名は日室岳。 少しずつ発音を曖昧にして行くと、
ひむろだけ。
ぴむろっだけ。
ぴむろっど。
ぴらむっど。
ピラミッド。
言霊的には、つながって来ますね~。
それとエネルギーがとても強い。これが本物のパワースポットです。
この日室岳は太古に偉大な力によって立てられたピラミッドだとも
言えそうです。
人間には造ることのできない、この偉大な力は、いったいどこから
やって来たのか?
そう考えると神々の存在を感じざるを得ません。

この遥拝所のすぐ手前に、天皇皇后両陛下ご訪問の碑がありました。
この場所が天皇家とも深くつながっている場所であると伝えようと
しているかのようです。
ということは、この地はそれなりに深い意味を持つ場所だと言えます。
遥拝所につくと、不思議なことに、先程、本殿でお話した宮司さんが
突然現れました。
なぜ、ここに??
そして宮司さんは、こんなことを教えてくれました。
「夏至の日にはこのピラミッドの山頂に、夕日が沈むんですよ。
熱心な人は、夏至の日の日の出を伊勢 二見浦(ふたみがうら)で見て、
それからここまで、日室岳山頂に沈む夕日を見に来るんですよ。」

(c)Wikipedia
そ、それは、夏至の最強の過ごし方!!
確かに伊勢の二見浦を辞書で調べてみると、
二見浦での風物詩は、夏至の「サンライズ」である。それは江戸時代より
二つの岩の間より昇る、「日の出」が観測されている。
などの記述がありました。
伊勢の二見浦からこの元伊勢と言えば、あの五芒星の一片と重なりますね。
(五芒星については、前回の記事をご参照ください)

日室岳は古くから禁足地となっており、足を踏み入れることができません。
今も原生林が育つこの神奈備(かんなび)の山頂には、天照大御神と
ご縁のある倭姫の住居跡?磐座(いわくら)もあるとのことですが、
調べる術もありません。
夏至のサンセット、宮司さんは、訪れた人たちとともに、この場所で
大祓祝詞を唱えるらしいです。
その昔、元伊勢として鎮座された時、天照大御神がこの神奈備に降臨
されたのでしょう。
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2010'09.20 (Mon)
近畿の五芒星と元伊勢皇大神社

(c)Leyline Hunting
近畿の五芒星。
元伊勢、伊吹山、伊勢神宮、熊野本宮、伊弉諾神社の5ヶ所を結ぶと、平安京、
平城京を中心とした五芒星が浮かび上がります。
この日、伊吹山から五芒星の結界に入り、京の街を抜け、亀岡、綾部を抜けて
伊吹山と中心線の対象になる元伊勢の皇大神社を訪れました。
亀岡、綾部と言えば、かつて出口王仁三郎で有名になり、昭和初期に一世を風靡した
「大本」の本拠地でもあります。
特に亀岡から綾部に抜けるあたりは、とても自然の造形とは思えないピラミッドが
多数存在しており、独特なエネルギーを持った場所でもあります。

綾部を抜けて、大江山に向かいます。
大江山と言えば、その昔、鬼が住んでいたと言われる鬼伝説があるところです。
そういう意味でも、このあたりが普通の場所ではないことがわかります。

長い参道を上がって行くと、大自然のエネルギーをためた樹齢数百年以上の
大杉がたくさん茂っています。
また麻呂子親王御手植の杉などもあります。

なぜかここに真名井の池。
元伊勢の内宮に真名井の池があるということは、やはり、人祖降誕の地は
丹後真名井原であったと、暗示するかのようで、深く心を打たれます。
本殿の祭神は 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)

皇大神社ご由緒によると
崇神天皇39年に「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の御教えに従い、
永久にお祀りする聖地を求め、豊鋤入姫命 御杖代(みつえしろ)となり給い
それまで奉祭されていた倭の笠縫邑を出御されたのが今を去る二千数十年前の
遥かな昔であった。

そしてまず最初に、はるばると丹波へ御遷幸、その由緒により当社が創建された
と伝えられる。
皇大神は4年ののち、御神蹟(みあと)をとどめて再び倭へおかえりになり、
諸所を経て、54年後の垂仁天皇26年に、伊勢の五十鈴川上にお鎮まりになった。
とあります。

境内には、全国の神々がこの地に集うための摂社が、本殿を取り巻いて
たくさん祀られています。その数100社位はあるでしょうか。
今回、ここを訪れた大きな理由は、皇大神社のご神体であるピラミッドを
遥拝するためです。
ちょうど本殿を訪れると、宮司さんが現れ、ピラミッドの遥拝所を教えて
くれました。
次回はそこを訪れてみたいと思います。
またそこに、不思議なことに宮司さんが現れるのです。
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