2013'05.08 (Wed)
★坂本龍馬いろは丸談判の宿

広島県福山市、鞆の浦。
トークイベントで10ヶ月ぶりに訪れた港町。
宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」の舞台としてもおなじみですね。
昨年訪れたのは、夏越の大祓の日。
昨年のぶらり一人旅とは違い、今年は自身のトークイベントということで
またちょっと違った緊張感でした。
久しぶりに歩く、鞆の浦の街並み。
江戸の地図がいまだに使える街並みは全国でもほとんどありません。

前回訪れた時もちょっと気にはなっていたんですが、
今回宿泊先に選んだのはここ。
坂本龍馬がいろは丸衝突事故の時に談判を行ったといわれている
御船宿いろは。
御船宿いろはHPより引用 ******
慶応3年(1867年)4月23日深夜、坂本龍馬と海援隊士34名を乗せ、
海援隊初の航海へと船出した「いろは丸(45馬力・160t) は
瀬戸内海を大阪に向けて航行中、現在の福山市宇冶島沖で
紀州藩の軍艦「明光丸(150馬力・870t)」と衝突事故をおこしました。
小さな蒸気船いろは丸は大破し、明光丸に鞆の浦に曳航される途中、
沈没しました。
この海難事故の賠償交渉は万国公法(当時の国際法)にのっとり、
この場所で行われました。
****** ここまで

宿の前には、「いろは丸事件談判跡」の石碑が立っています。
幕末、坂本龍馬がここにいたんですね。
なぜ彼は、時代の幕開けに「いろは」を船の名に選んだのでしょう?

この「船宿いろは」お宿は、現在はNPOの方が経営されているとのこと。
今回泊まったのは、2階の蔵を改造した部屋。
屋根裏の柱がむき出しで、江戸や明治の風情をそのまま残している
お部屋です。
テレビやラジオなんかもなく、静かに泊まりたい方にはいいですね。
1日3組までしか泊まれない小さな宿です。
私が行ったのは平日だったので、宿泊は私一人でした。
こんな経験も貴重ですね。
今日も最後までお読みいただき、
ありがとうございます。 <(_ _*)>
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