2014'09.28 (Sun)
★崇神天皇と元伊勢伝説

黒塚古墳から崇神天皇陵へ。
ほんの数百メートル先のようです。
数々の天皇の歴史の中で、もっとも古代に、その力を顕わした天皇が
崇神天皇だったと私個人的には思います。
そして、何かしらその昔、その大和に縁があったのかとも思います。
通りに出て信号を渡ると、ありました。

すごくきれいに整備され過ぎていて、なんだか現代風な感じがします。

確かに「崇神天皇陵」とあります。
何年も気になっていたのですがやっと訪れることができました。

階段を一歩一歩上がります。
お濠の向こうが、陵(みささぎ)です。
崇神天皇こそが、天照大神との同床共殿(どうしょうきょうでん)をやめて
元伊勢伝説が作られるきっかけになります。

それまでは皇居内に祀られていた天照大神の御霊が、
崇神天皇によって皇女豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に
その神霊を託され、倭国笠縫邑(現在の桧原神社)に「磯堅城の神籬」を立て、
そこから更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし二十数箇所、
後に倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年の年月をかけて
現在の伊勢神宮内宮、五十鈴川畔に遷座したといわれています。

ここにいると時が止まるような感覚にとらわれます。
やはり、ここに来ることに意味があったのだという感応が降りてきます。
しばしの時間、言葉もなくこの地にたたずみ、在りし日の大和を偲びます。

天皇陵を後にして振り返って、崇神天皇陵の全景をパチリ。
山の手前の小高い部分が前方後円墳を横から見たところです。
それにしても、きれいに整備はされていますが、
周りの風景は昔のまま、というような静かな田園風景でした。
今日もこうしてお読み頂ける方がいるので
頑張って書くことができています。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。 <(_ _*)>
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