2015'03.11 (Wed)
★突然自由を失った3.11。それを支えた4本のボルト

3.11東日本大震災で被災された皆様にお見舞い申し上げます。
また突然、逝かねばならなかった多くの御魂に安らかであれと祈ります。
4年前の今日、私は、「歩く」という自由を奪われ、病院のベッドの上にいました。
家族との連絡が取れたのは、午後10時を過ぎてからでした。
病院の窓の外は、車のクラクション、救急車の音。
パトカー、消防車。
何もかもがけたたましくなっている。
日本に何が起こったのか。
いまだに明確に覚えている3.11の夜。
4年前の今日14時46分、自らの体に何かしら起こるという
予感が見事に当たってしまった瞬間。
震災で両足を骨折した私は、この日から51日間の入院。
3月16日、車いすのまま介護タクシーで東名高速道路を走り転院。
転院後、3月18日手術。
寝たきりで女性の看護士さん4人に抱えられトイレに運ばれ、
「1,2,3!」で便器にのせられる。
車いすで、介護もないままお風呂でシャワーを浴びる知恵。
車いすでお風呂に行き、移動して裸で体を洗って、
タオルはどこに置いて、どうやって拭いて、パンツをはいて、
歩けないのにどうやって車いすに移るのか。
立ち上がることもできない状態から手だけで歩くリハビリ。
家のマンションのエレベーターホールは崩落しているとの事。
しかしそれを見ることができたのは退院後のことでした。

私の足に入って半年間、骨をつないでくれた4本のボルト。
8月には私の体の一部として、伊吹山へ、そして位山登山。
近畿の五芒星の一角を担う旅をも支えてくれました。
今も手元にあるこのボルトを見て、風化しそうな震災の
記憶をたどる。そして私たちがどう生きるべきかを再び問う。
職を失い、あまりある時間だけが緩やかに流れた2011年。
人生にとって本当に大切なものは何なのか、病院の窓から
遠く富士山を見ながら、人生について見つめなおした時間。
本当に強くなった、3.11。
私の中のひとつの起点も、間違いなく3.11にあるのです。
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