2019'06.11 (Tue)
★いざ七尾城へ、上杉謙信の足跡を追って

6月までは、北陸・能登が光を放っているということで
「行くなら、その時期くらいまでがベスト」ということで
5月に急きょ、北陸入りを決行したのです。
今回のメインは、能登 七尾市の七尾城。
この七尾城は山城でありながら
当時の城郭の面影を今に残す貴重な山城の址。

もともと、守護 畠山氏の居城は
七尾の街中(平地)にありましたが
戦乱の世、世の乱れに乗じて、畠山氏は
この山城への引っ越しを決めたのです。
領主 畠山義慶は1574年に2月に不慮の死を遂げた。
その後を継いだ弟の畠山義隆も1576年に死去し、
遂にはその義隆の子でまだ幼児の
畠山春王丸が城主となっていました。

(c)Wikipedia 長篠合戦屏風
※この頃の時代背景としては
1575年、織田・徳川軍の鉄砲隊が武田氏(勝頼)を
滅亡に追いやった、有名な長篠の戦いがあります。
話は七尾。
当時、七尾城の実権は幼少の主君春王丸の後見として
織田に近い重臣 長氏が握っていました。
1576年、越後国の上杉謙信は能登国を支配下に置くべく、
2万余の軍を率いて侵攻。
これに対し当時の能登の領主畠山氏(実権は重臣)は
七尾城に籠城。その数 1万5千。
七尾城は山城で
難攻不落の堅固な城であったため、
戦いは長く続きました。
さて、話は現代。
ちょうど、能登から氣多本宮、そして七尾城。

七尾城は車でしか行けないのですが、
七尾城に向かうルートはこの日
「通行止。迂回してください」となっていました。
「え?マジ?」
まるで、上杉軍が攻めて来た時
城への道が封鎖され、
入れなかったのと同じ状況だったのです。
車で、山の反対側まで大きく迂回して
ナビにもないような山道を、
看板を頼りにくねくね。
いざ、七尾城に着きました。

そして、車を降り、いざ城に上がろうと思って
一歩踏み出した時、眼下の町のどこかから
太鼓の音が聞こえて来たのです。

まるで、戦の時に打ち鳴らす陣太鼓のような、
威勢の良い、和太鼓の音。
ドン、ドン、ドドン、ドドン、ドン、ドン、ドン。。。
なんだこれ?
まさに戦の始まりか?
そんな風にしか思えない太鼓の音だったのです。

いざ、本丸へ。
上杉謙信もここから登ったんやな~。
「義」を重んじる上杉謙信が調略を使うほど
この七尾城は、きっと落としにくい城だったのでしょう。
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