2008'11.20 (Thu)
織田信長と熱田神宮
信長は、ここぞという戦いの前には熱田神宮へ参り、戦勝祈願を行いました。
その中で最も有名なものは、桶狭間の戦い。わずか織田軍3000の兵で、
25000の兵を擁する今川義元を討ち取った、あの戦いです。
熱田神宮へ戦勝祈願した際、シラサギが2羽飛び立ったことで、縁起がよく、
桶狭間の戦いは必ず勝利する と織田軍の皆が信じたというもの。
この熱田神宮には、桶狭間の戦いで勝利をおさめた信長が寄進した「信長塀」が
あります。
この塀は土と石灰を油で練り固めて、瓦を厚く積み重ねたもので、京都三十三間堂の
太閤塀、兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀とともに日本三大土塀の一つとして
有名です。ちょっとやそっとでは壊せそうにないですね~。

また鉄砲隊で有名な長篠の戦いへ出兵する前にも、信長は熱田神宮へ立ち寄ったと
言われています。
熱田神宮には「不開門(あかずのもん)」と言われた「清雪門(せいせつもん)」があります。
この門は、太古の昔、天智7年(668)、新羅の僧が草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を
盗み出し、神剣が熱田神宮から他へ移されてしまったことを忌み、二度と神剣が熱田から
出て他へ移ることがないようにと、この門は閉ざされて決して開けられることがなかったと
言われています。

どちらも長い歴史の中での、熱田さんの存在の大きさを表すお話ですね。
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