2009'07.05 (Sun)
富士山についての神示(後編)

富士山についての神示、後編です。「神誥記」より。
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神の山なり。神聖なれば、神へのご無礼なきように、心し、気配り、敬虔(けいけん)なれよ。
神と最も近付く場なれば、登りし後には、祈り捧げよ。
天上世界に届けんように、己の精魂すべてをこめよ。
神との交流、更新得し後、一度生まれし縁なるを、神に感謝し、その後も祈れよ。
富士の霊気は清浄なればこの世の他のどこよりも、高く尊き霊気を宿し、神も降りられ、
この世を浄めん。
なれば人も神と交信、交流ご縁を得し者も、これからご縁を頂く者も、富士の霊峰、
登るがよからん。
人間心の小さな願い、低き望みは、富士にはそぐわぬ。
邪欲を離れ、我欲を捨てて、ただひたすらの精神昇華、それのみ求めて登る者こそ、
神もご縁を結ばんとする。
富士の御山は高き山なり。低き思いは死をも招かん。
浅き考え、軽き願望、低き思いは、かえりて危険。それのみ戒め、諌(いさ)めて登れよ。
神の願いは人類全てが、神の子たちが戻り来ること。
なれば富士とて、同じ思いよ。神の世界に近付くなれば、神の心に、はじめに戻れよ。
神の思いを、願いを頂き、神への感謝と奉仕の心。
富士にも多くの神々おられ、人を見守り、導く神あり。人を恨みて、邪魔する神あり。
なれば人は心して、聖なる山に近付く前の、心と体の汚れを禊(みそ)ぎ、
清き魂にて入るを願えよ。
神とて人は愛しきわが子。子の帰り来る時を待ち、わが子の顔も見たき思いよ。
なれば人は、親の心を慮り(おもんぱかり)て、親の嘆きを深めぬように、
よく戒めて、高めて入れよ。
富士の山こそ、日本の象徴。日本の神世の名残なり。
なればこの後、富士に対して、さらに信仰、思いを深めよ。
なればこそ、「いろは」の書にも、「ひふみ」にも富士は輝き、光を放たん。
富士こそ日本の始めなり。富士は不二にて、世界にひとつ。
神への入口、天とのつながり。
かつて煙もたなびきて、聖なる灰をも降らせしものを。今は力も衰えて、この世も終わりを
迎えんとする。富士の力の果てぬるときこそ、次なる世界の始めと思えよ。
さにて本日富士のこと、聖なる山の意味を伝えき。
もし祈りあらば、富士に詣(まい)れよ。富士こそ多くの神々様が、鎮座し、守る霊山なれば。
そのとき浄めて、慎みゆけよ。夢にも軽き思いは持つなよ。それのみ心し、忘るなかれよ。
さにて。
****** 終わり。
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ありがとうございます。
霊峰富士といわれるだけあって、その魅力は大変深いものがあります。
しかし、神示にもある通り、富士登山は軽く捉えると大変です。
充分に事前準備をされ、心も身体も整えて登られるのが良いでしょう。