2010'01.31 (Sun)
目の前に「卑弥呼」の墓が現れた
北西麓一帯に広がる、3世紀の弥生時代末期から古墳時代前期にかけての大規模な
遺跡です。
三輪山は太古より、神の山としてあがめられて来た神の山であり、「神山」と書いて
「おやま」と読んだりして、太古より現在に至るまでその信仰は受け継がれています。
三輪山の北西に「箸墓(はしはか)古墳」があります。その大きさ 278m。
空から見ると、形が分かりやすいですね。

(c)国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省
古墳とは、昔の豪族のお墓であり、円墳、方墳、前方後円墳など様々な形があります。
箸墓古墳は前方後円墳で、宮内庁の管轄で立入禁止となっており、聖域とされています。
宮内庁の管理においては、孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひ
ももそひめのみこと)の墓と言われています。
箸墓古墳が有名なのは、あの邪馬台国の女王「卑弥呼(ひみこ)」の墓だという説も
かなり有力視されているからです。
箸墓もいつの日にか一度訪れてみたいと思っていた場所の一つではありましたが、
今回は三輪山に登拝することだけを目的にしていたので、こんなところにあるとは
まったく知らず、この地に来てから、あてもなく散策していて、目の前に現れたのが
箸墓古墳であるということに気づき、驚きました。

卑弥呼は、邪馬台国の女王と言われていますが、その名が示すように、卑しめられた
名前を持ち、実際には女王と言うほど位も高くなかったようですが、実在した人物で、
国の繁栄や平和のために尊い働きを為した、とても高い魂を持った女性の神官でした。
国の将来を占い、行くべき道を示す重要な働きをし、中国の史書「魏志倭人伝」など
にも伝えられるほど、外交も重視し、大きな働きをした女性だったようです。

倭迹迹日百襲姫命についても、巫女的な要素を多分に持ち合わせており、その姿は
卑弥呼の巫女としての姿とダブります。
倭迹迹日百襲姫命は、大物主神と夫婦になるも、大物主の姿が蛇であることを知り、
驚き、倒れこんで、箸が陰部に刺さって死んだとされています。
それで「箸墓」となったようです。
この墓は、昼は人が造り、夜は神が造ったと言われる史書の記述もあるようです。
倭迹迹日百襲姫命が巫女的な能力を多分に持ち合わせ、予言を的中させていた
ことから、倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼 という説もあります。

一方、大物主神は空をかけて、三輪山へと鎮まったと言われ、大神神社の祭神として
今も祀られています。
次はいよいよ、三輪山、大神神社へと参りましょう。
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