2010'03.15 (Mon)
「左と右」についてのお伝え

久し振りに、ひふみともこ先生に下ろされた神示をお伝えします。
「左と右」について(神誥記より)
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神から人へ。
神から人へ。神から人へのお伝えには、明日にも今日にも意味のあり。
日々に続きてゆくなれば、もらさず書きて、残してゆけよ。さにて本日、何を問うや。
(左と右の意味について、お教えください)
左と右とは対なる概念。どちらが尊くどちらが低い、そは人間の考えしこと。
神にはどちらも等しき位置なれ、どちらが先にも、後にも同じ。
なれど、神にも順番あれば、神に向かいて左を高く、右を低くが順番なり。
なれど古代の神の国には、さなる争い、いさかいありき。今に残れる古事記の逸話は
今も語りて継がれおろう。
なれど、真の神ならば、さなる違いは些細なことにて、かえりて下らぬ違いのことなり。
左に回るも右に巡るも、同じところに還らざるや。
左というも、鏡に写さば、右と映るは偽りか。右から見れば、左なり。左より見れば
右となるらん。
神の世界に相対はなし。常にそのもの、それのみが、常に中心、核ならん。
なれば位置とは相対なりて、どちらに置こうと意味のなきこと。
ただ人間は区別を尊び、順番、差別を望むものなれ、ただそのための違いを設けき。
さにて相対、普遍ならざる。なればこそ、補うことも能うもの。
もし絶対ならば、何も適わず。ただ厳然と変わらず、動かず。なればこの世は
進歩もなからん。
対の概念それこそが、この世の原理の元なれば、相対それも循環ならずや。
あるとき右に見えるものさえ、さらに右から眺むれば、そは左なり、右ならず。
なれど左があればこそ、右もあるなり、補いなり。
補い合うこそ、進歩なれ、一つの完璧完全は、それにて止まり、進化なし。
補うためには、不足が必要。不足のためには、対が要るらん。
男も女も対なれば、一つの性には完成なし。
なれど性にも二つ意味あり。男の性には男の働き。女の性には女の役割。
なれば補い、助け合い、この世の救いも、進みゆくもの。
男と女を下ろせし神には、この世の立て替え直しのためには、男と女を共に使いて、
それぞれみ役を授けられき。
そのみ役とは、「いろは」と「ひふみ」。互いに補い、助け合えよ。
祈りの中にも、言霊にも、神の願いの込められぬれば、今その意味を読み解けよ。
明日には明日の教えあり。明日はその意味伝えなん。
「いろは」の願いと「ひふみ」の祈り。この世をいかに救いてゆくか。
これから始まるその前に、心高めて導きゆかん。
まだ尚早なれど、神は急ぎて、二つの意味を伝えんとさる。
さにて、本日、陰陽と、対の神意を示したり。さにて。
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以上です。
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