2010'04.06 (Tue)
見返りについてのお伝え

今日は「見返り」についてのお伝えです。ひふみともこ先生「神誥記」より。
******
(人間は相手に何かしてあげると、どうしてもその見返りを期待してしまいます。
それは心の汚れでしょうか)
さにあらず。
神も人も同じなり。相手に恵み、捧げなば、それらに感謝の言葉も欲しけれ。
なれど欲せず、求むるなかれよ。物にて返す報恩は。
必ず感謝は心にて、言葉によりて表せよ。物に頼るは、悪しき習慣。先ずは
ことばで感謝示せよ。
さにて本日、見返り、報恩、言葉の感謝を教えたり。
この後、問いのなきときは、通信交信、なさずともよし。さにて。
****** 以上です。
短い言葉の中に、人間の欲と本質、あるべき姿が示されていますね。
今日もご覧いただき、ありがとうございます。
訪れて頂いたみなさんに幸せの光が降り注ぎますように。
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謝罪の場合も同じです。
スピリチュアルブームにより、現世御利益を求めパワースポット的な神社や山等は人で溢れかえり、自分達の『欲的』想念を置くだけ置いて聖地を汚し歩き、その後で御礼を申し上げ御挨拶に行かせて頂こうと思う人は少ないと思っています。
人は自分勝手な生き物だからと・・・。
お日さまのお話しですが、てんごくさん。と同じように、今年になり恩師に『あまねく照らすから、あまてらす』『好きな所には光を当て、嫌いな所には光を当てないと言うことはない。全てを受け入れ包み込む大きな器を持ちなさい。』と言われました。
最近では『綺麗な所ばかり求め見ても、汚く醜い所も見なければ、本当の綺麗さに気付くことはない。』とも教えて頂きました。
まだまだ度量が足りなく未熟なので、私もそんな風になれると嬉しいな♪と思っています。
今日も良いお天気ですね♪('-'*)
空の青さ、真っ白な雲、朝の清々しい風、小鳥の囀り。
今日も何かを発見出来そうな素敵な一日になりそうです♪
ありがとうございます。
本当に心の底から、無私の心で人のためにできたとしたら
素晴らしいことです。
たとえば、繰り返し何かしてあげても、一言もお礼を言わない
人がいたら、どう思うでしょうか。
「お礼の一言いえないの~?」とか思うだけでも、どこかでそれを求めている
のかも知れませんね。
その延長は、お礼を言ってくれる人には施すけど、お礼も言わない人には
施しをしない、ということにもつながります。
太陽の光は、人にも、犬にも、道端の雑草にも、同じように光を与えています。
お日さまが、あなたを照らしてあげているのに、あなたはお礼を言わないから、
「あなたの周りだけ あしたから 雨にするね~」 とか言わないということですね。^^
見返りを求めてしまうものなのかな?と考えさせられました。
人は不完全で完璧でないけれど、完璧に近付く努力は可能ですよね♪(^-^*)/
いろんな学びの為に人は生まれてくるのだと思います。
無意識に見返りを求めてしまうから、意にそぐわないと腹を立てたりしてしまうのだと思いました。
自己満足な愛だと無意識に見返りを求めてしまいがちですが、無性の愛であれば何事も微笑ましく見守っていられ、全てを受け入れられる大きな心になれるのかな~?と考えさせられました。
自分を見つめる機会を頂き、ありがとうございます。_(._.)_
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ありがとうございます。
私たちは、神さまから与えられた奇跡と必然を受け止め、
愛と感謝を持って生きて行くだけなのです。
すべては「受容」ですね。