2010'06.29 (Tue)
鬱病(うつびょう)についてのお伝え

ひふみともこ先生に、神界から下ろされた お伝え をお届けします。
今日は、鬱病について。 「神誥記」より。
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(なぜ鬱病のような苦しみがあるのでしょうか。また、どうすればそうした
病気を治せるのでしょうか。お教えください。)
では教えん。病気というは、病気にあらず。神の与えし苦しみならず。
己の御魂の行を進めて、さらに昇華(しょうげ)の機会とせんと、
自ら求めてかかるものなり。
なれば鬱病、躁(そう)病も、同じ心の表裏。嬉しきときの昂揚と、
悲しきときの沈滞と、交互に現れ、自らの均衡保つ必要悪。
無理に治すは誤りなり。周りの心配、気遣いあらん。なれど先ずは、
自ら気付きて、己の欠けし均衡を、先ずは保ちて、鎮めんとせよ。
そもまた今は、困難ならん。己の意志には致し方なし。
なれば心を外に向け、己の心の瑣末(さまつ)な動きに、いちいち囚われ
こだわるなかれ。
心の隅に魔も入らん。小さきことに目を奪われて、大きな真理を見失うなよ。
最も大事な修養は、心の平安保つこと。外の世界に惑わされず、内の世界に
囚われず。
神のみ見つめて、従わばよし。神を信じて、導かれよ。
己のなすべき日々の行い。それのみ打ち込み、ひたすら動けよ。
よそに目を向け、比べるなかれ。己の道のみ、歩みを進めよ。
何も憂(うれ)いて悲しむなかれ。この世に生れし尊き命を、神に感謝し喜べよ。
この世の短き生ある今を、時間を惜しみて働けよ。
人への感謝も怠るなかれ。己を生かす全てのものに、素直に感謝し、謙虚に生きよ。
思い悩みは不満の証。神への感謝の足らざる証拠。
神への感謝に心を砕けよ。感謝できぬをまずは悟れよ。
神への不遜(ふそん)、人への傲慢(ごうまん)、よく見回して戒めよ。
心の苦しみ葛藤は、己の内より生まれるものなり。
人への感謝と神への感謝。それさえあらば恐るることなし。
必ず訪れ、保たれん。心の安寧(あんねい)、平安は。
さにて本日、すべての人への教えなり。
なれど自ら身近に感じて、己に向けし言葉と思えよ。さにて。
****** 以上です。
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ありがとうございます。
身近な人こそ、その存在は「いて当たり前」になりすぎていて
感謝を忘れがちですね。
自然でみても、太陽の光、雨、空気、といった「当たり前」の存在。
でも、それらがなかったらどうなることか。
そんな身近な存在に気付き、感謝すること。
そんな中にこそ、魂の昇華(しょうげ)のヒントがあるように
思います。