2010'07.22 (Thu)
小牧・長久手の戦いに学ぶ

愛知県の歴史的な特徴を挙げれば、それは、戦国武将3英傑 織田信長、豊臣秀吉、
徳川家康 を生み出したことであると言えるでしょう。
秀吉は信長の草履取りとして仕え、家康もまた、幼いころ織田家の城に入って共に
過ごすなど、信長とは縁がありました。
1582年6月、天下統一の直前、織田信長が家臣 明智光秀の手にかかり、京都の本能寺
で討たれました。その後、家臣たちの間で権力争いが起こり、羽柴秀吉と、織田信長の
次男信雄(のぶかつ)を支援する徳川家康が戦うことになりました。

生涯一度だけ起こった秀吉軍と家康軍の戦い それが、小牧・長久手の戦いです。
長久手古戦場は、2005年に開催された「愛・地球博」の会場のほど近くです。
1584年4月、秀吉軍と家康軍はそれぞれ、犬山(愛知県犬山市)の楽田(がくでん)と
小牧山(愛知県小牧市)に陣をしいて対峙していましたが、秀吉軍の別動隊が家康の
本拠岡崎に向けて侵攻したことから、長久手の地で激突することになりました。

青々と繁る新緑のみどり。
ゆるやかに時は流れ、いにしえの戦も、夢のまた夢のよう。
この戦いで、秀吉軍は大垣城主 池田恒興(つねおき)、岐阜城主 池田元助
(もとすけ)父子、森長可(ながよし)といった有力武将を失い、長久手の戦いで
勝利した家康は小牧山に戻りました。

庄九郎塚(池田元助の墓)
ここで亡くなった岐阜城主 池田元助は若干20歳でした。
20歳の時、私はいったい何をしていたでしょう?
そう思うと、私たちの生まれた時代は、なんて幸せなんだろうと改めて思います。

私たちは、命の大切さをもっともっと噛み締めながら、時は金なり、で真剣に
生きなければなりません。
歴史から学ぶことは、たくさんあります。
今日もご覧いただき、ありがとうございます。
訪れて頂いたみなさんに幸せの光が降り注ぎますように。
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てんごく。さまも戦で?
お互い、大変な中を生きたのですね。
私はここでプレアデスの本も、、そして数霊の本とも出逢うことが出来、「尾張始まり」の記事も読ませていただくなど、とてもご縁を感じています。
「血が流れる世界」を経験したからこそ、人一倍平和の為に働きたい! との気持ちが強いのかもしれませんね。
そう志願して今生に生まれてきたような気がします。
あるいは、戦国時代にも志願したのかも。。
長い、長い輪廻転生でたくさんの経験を積み、アセンションのために魂を磨いてきたのだとしたら、それらの経験も意味があったのですね。
ありがとうございます。
必要な情報は、必要な時にわかります。
私とのご縁も、そのあたりの時代の因縁かも知れませんね。
私も、一度、戦国時代の戦いで命を落としてしまいました。
コメントを頂き、ありがとうございます。
プレアデスから来て頂くということは、それだけでご縁ですね。
偶然と思えることがふたつ以上重なるということは
その偶然が「意味」を持つことになります。
ということは「必然」になるということです。
強いご縁の場合は、まさか!というようなシンクロが起こりますから
このblogとの出会いも必然なのかも、ですね。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。^^
私の前世の息子はどの戦で若いいのちを散らせたのでしょう。
「戦国時代の尾張の城主」と呼ばれる方はたくさんいらしゃるので、はたして私がどの方の妻であったかは知りません。
でも、ビジョンで見える友人は見ていられない悲しみようだったと言います。赤い着物を着ているところが見えたそうです。
いつか息子や前世の自分の墓参りに行こうと思っています。
何か、調べる手立てはないものでしょうか?
私も昔から空をみるのが大好きなので、すっかりこのブログにハマッてしまいました。
いろいろと勉強になるし、なんかとても癒されます。
この世の中に、宇宙からのメッセージを受け取る人がいるなんて、なんて素敵なんでしょう

実は、半年ほど前に名古屋に引っ越してきてばかりで、しかも長久手町のわりと近くなので、なんかタイムリーな話題に驚いてます^^!
何かのご縁なのでしょうか?
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ありがとうございます。
出会うべき魂が同じ時代を生き、転生し、再び魂の昇華(しょうげ)の
旅に来ています。
戦国時代の学びがなければ、江戸の平和な時代はありませんでした。
また、明治から昭和にかけての悲しい戦争がなければ、今日の平和は
なかったのです。
今、私たちは物質文明、バブルや経済の発展から崩壊を経て、お金本意
ではない新しい時代への移行を、ともに成し遂げつつあるのです。