2010'07.23 (Fri)
450年前 桶狭間の戦いの本当の勝者は?

今からちょうど450年前の西暦1560年。
歴史上、もっとも有名な戦いと言っても過言ではない、桶狭間(おけはざま)の
戦いがありました。
流れに乗って、10年振りに合戦の地を訪れてきました。
名古屋を離れて10年、なんだか光陰矢のごとし、あっという間です。

駿府(静岡)から西に進攻した大名、今川義元の軍25000人、一方、織田信長軍
たったの3000人。
信長がこの戦いに臨むベく騎上の人となり、清洲城を出たときは、わずか6騎だった
とも言われています。
信長は、厚く信仰する熱田神宮へ戦勝祈願に立ち寄り、その際、境内から二羽の
白鷺が飛び立ち、これは縁起が良いと、勝利を確信したといいます。

信長は、雷雨の音に隠れて奇襲攻撃を企て、わずか織田軍3000の兵で、
総勢25000の今川軍を蹴散らし、今川義元を討ったのでした。
織田信長が、天下にその名を知らしめることになった戦いです。

信長は、桶狭間の奇襲攻撃で勝利を収めたのですが、その因縁か、晩年、
本能寺の変で、明智光秀に奇襲攻撃を受け、討たれてしまいます。
この桶狭間の戦いで、今川軍の先鋒であった徳川家康は、今川義元の
戦死で今川軍から離れ、織田軍と講和を結びます。
つまり、織田、豊臣、そして最終的に徳川の天下取りへの道はここから
開けたのです。
今川軍についていたらなかったであろう天下への夢を、今川から独立、
織田と組んだことで、この後、力を蓄え、天下取りの夢を実現していった
徳川家康こそが、本当の勝者だったのかもしれません。
今回ご紹介した写真はすべて、名古屋市緑区の桶狭間公園のものです。
今日もご覧いただき、ありがとうございます。
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