2010'07.25 (Sun)
ふたつの桶狭間

桶狭間の戦い、数千人が入り乱れて戦ったわけですから、戦いは広範囲にわたり
行われたことは想像に難くありませんが、その決戦地については定かではありません。
それは当時、そのあたりが人里離れた場所であったことを想像させます。
今川義元が討たれた場所については、現在、ふたつの場所が語り継がれています。
ひとつめの決戦地は、名古屋市緑区桶狭間。
そしてふたつめは、緑区と隣接する豊明市です。
前回、名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園をご紹介しましたので、今回は豊明市の
桶狭間古戦場をご紹介します。

いずれも現在は住宅街の一角にあり、ともに小さな公園として遺っており、
山野草原といった当時の風景を感じさせる場所ではなくなっています。

ここには、今川義元最期の地としての碑と、義元の墓があります。
ここは昔は塚だったようです。

公園に隣接する小高い丘の上にある高徳院の境内にある今川義元本陣地。

「跡とへば 昔の時の こゑたてて 松にこたふる かぜの悲しき」
心しずかに目を閉じて、遠い昔に思いを馳せてみると、しずかな時と風の中に、
先人たちの想いが伝わって来るようです。
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