2010'11.07 (Sun)
「信じること」についてのお伝え

神から人へ、人から神へ。
多くの祈りを受けて、御霊(みたま)は天に昇りゆかむ。
この世に残せし悲しみも、天へ帰りて、清められむ。
さにて本日、信じること、即ち人にとりて、最も難しきことを教えむ。
人はそれぞれ疑いと、信じることの間にて、常に変わりて揺れ動くもの。
なれど危うき選択は、いずれかのみに傾くこと。
信じる時も疑えよ。己の心を、考えを。
すべてを信じ、疑わぬは、即ち慢心、独善の素(もと)。
己を疑い、見直して、信じる己の我を戒めよ。
疑うことは悪ならず。信じる己に曇りはなきか。
己の心に歪(ゆが)みのあらば、信じる心も、歪みを生じ、いつか己の我に囚われむ。
信じきるとは任すにあらず。信じる者には責もあり。
己の心を外より眺め、己の勝手の願望に、己の心が狂わぬように、常に冷静沈着に
己自身を問い直すべし。
神を信じる者は危うし。
疑うことをはばかりて、自ら陥(おちい)る盲信、狂信。
信じることを美徳とし、理性知性を自ら捨てる。
独善、慢心、そを恐るべし。
理性、知性を働かせ、常に己を問い直し、他人の言葉に耳を傾け、心の扉を閉ざすなよ。
神を信じることは尊し。
なれど、時には疑えよ。己の心の慢心を。信じる者への執着を。
疑うことは辛きこと。己を変えるは難しきこと。
己の心に非を認め、そを改むには勇気を要す。
なれど真の信仰は、心を閉ざすことになし。
心の闇には、光をあてよ。
執着迷妄(しゅうちゃくめいもう)は心の牢獄。
自縄自縛(じじょうじばく)の鎖を解きて、心の自由を取り戻せよ。
強き信とは柔軟なること。
頑(かたく)ななるは、脆い(もろ)きもの。変化を恐れ、拒まむとする。
己の正しき、善なるを、何より信じ、疑わず。
信じるものは神ならず。己の作りし虚像に過ぎず。
虚像の崩れることを恐れて、己の殻に籠(こも)るなかれよ。
神のことばも信じるなかれ。信じることは止まるにあらず。
常に真理を、神意を問えよ。
己の信に凝り固まらぬよう、常に心の扉を開き、風を通せよ、光をあてよ。
新しき意味を自ら求めよ。
さなりて信は、自由を得、常に新たな命となるべし。
さにて本日、信じることは疑うことの意味を説きたり。
よく読みなおし、考えるべし。さにて。
******
2008年3月16日 ひふみともこ先生へのご神示です。
神さまは、「信じること」が「最も難しきこと」とおっしゃってますね。
また「考える」は「神帰る」とも言われています。
今日もご覧いただき、ありがとうございます。
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ありがとうございます。
信じる、疑う。
いつも身近にあることだけに、あまり深く考えることさえありませんが、
神さまは、最も難しきこと、と言われていますね。
考えれば考えるほど難しく思えて来ます。
常に、何が正しいのか、客観的に見て行く姿勢が必要なのでしょう。
こんにちは
強き信とは柔軟なること。
頑(かたく)ななるは、脆い(もろ)きもの。変化を恐れ、拒まむとする。
己の正しき、善なるを、何より信じ、疑わず。
6日新月に伊勢参拝に行ってきました。
柔軟な素直な心でいきたいと思います。
いつもありがとうございます。
感謝

信仰だけに限らず、政治やその他諸々にも当てはまるように思いました。
真実の神のみ言葉か、人間のエゴが混じっている言葉かどうかも、先ずは鵜呑みにしないで心して受け止めたいと思います。
今日も深い記事を ありがとうございました!!☆☆
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ありがとうございます。
今日のお話は、難しいですね。
見えない世界が、この3次元を作りだしているというのが
よくわかるような気がします。
お伊勢さんですか。ステキな気の流れる場所ですね。