2011'08.10 (Wed)
ヤマトタケルの足跡再び

高校野球夏の甲子園、負けてしまいましたけど、私の故郷愛知県の代表、
志学館高校のJPOP校歌が話題を集めてますね。
志学館高校は、ナゴヤドームのすぐ隣にあるんですよ。^^
そんなこんなで、話題は名古屋です。
皇位継承の三種の神器のひとつ、草薙(くさなぎ)の剣が熱田神宮に
ご神体として納められる前、置かれていた場所。
それがここ日神山(火上山)、熱田神宮の元宮です。
1年振りに訪れてみました。
ここはかつて尾張国造の祖、ミヤズヒメの屋敷があったとされる場所です。

周辺はトラックがたくさん走る国道23号がありますが、周囲の喧騒から
隔てられたかのように、静かな空気を醸し出しているこの地は、まさに
熱田さんの結界と言っても良いでしょう。
今もこの地には、ミヤズヒメの屋敷址の碑が残されています。

ここは、今も神聖なご神気が降りる数少ない場所のひとつであり、古代日本の
ご神気を受け取る人にとっては、格別な場所となることでしょう。
かつて、景行天皇の第二皇子であったヤマトタケルノミコトは、倭姫から
授かった草薙の剣を持って、東国(関東地方)の平定に行きました。
その戦の後、この地に戻ってきて、尾張族のミヤズヒメと結ばれました。
その夜、草薙の剣は、神々しく白く光ったと言われています。

そして、ヤマトタケルにとって最後の戦いの場所となる伊吹山へと向かいます。
しかし、その戦いで大きな負傷を負ったヤマトタケルは、死んでしまいます。
ヤマトタケルは、伊吹山へ、なぜか草薙の剣を持って行きませんでした。
後に残されたミヤズヒメに草薙の剣を託して、伊吹山へと向かったのです。
ヤマトタケルは、自分の運命を悟っていました。
残されたミヤズヒメは、この草薙の剣をヤマトタケルの命だと思い、大切に
保管し、後に、熱田神宮のご神体としてお祀りしたのです。
興味深いのは、従五位叙勲の熱田神宮の宮司が、ヤマトタケルのことを
「倭武天皇」と館址の石碑に書いていることです。
この地に足を踏み入れると2000年前の、会話が聞こえてくるかのようです。
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タグ : ヤマトタケル
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