2012'06.21 (Thu)
出口王仁三郎の産土、小幡神社へ

産土を、みやげ、って読んだ方、残念でした。
みやげ、は、土産です。f^_^;)
産土は、うぶすな、が正解です。
お守りしてくれる、その土地の神様です。
沼島、おのころ神社を後にして、一路淡路島から京都亀岡へ。
ここは、小幡神社。
かの、大本聖師 出口王仁三郎氏 の産土神社です。
3日前に、ひょんなことからふと思い立って、ここに来ました。
本当に最近、計画立てないな~。笑
本当にインスピレーションだけで動くようになってしまいました。^^;
亀岡市曽我部町穴太(あなお)。もともとは、穴穂といって、稲がたくさん
とれる実り豊かな土地であり、古くからの藤原の里です。
この穴太出身には、あの有名な画家 丸山応挙もおり、出口王仁三郎氏の
先祖に当たります。
応挙は、もともと上田主水という名であり、王仁三郎氏の本名、上田喜三郎と
同じ性であることがわかります。
【巨匠の描く美の世界】「雨竹風竹図」 丸山応挙筆 重要文化財

この小幡神社から2~300m行ったところに、今は瑞泉苑(ずいせんえん)
と呼ばれる、王仁三郎氏の生家(跡)があります。
後ほど訪れてみましょう。
小幡神社にある、通称:おばけ灯篭(とうろう)は、王仁三郎氏が幼少の頃
遊んでいたと聞いたことがあります。

この神社は昔は小幡宮と呼ばれており、現在の社殿は1683年に
造られたものです。
この神社の裏山は古墳になっており、3つの勾玉と剣などが出土しており
東京博物館だったかに展示されているようです。
つまり、この場所は昔からそれなりに霊的波動の高い場所だったのです。

最後に、小幡神社 由緒書より。
*********
当社は、崇神天皇の命により派遣された四道将軍のひとり、丹波地域を治めた
丹波道主命が、皇祖開化天皇を主神として祀ったことに始まるといわれ、
開化天皇の御子の彦坐王とその御子小俣王の三代を奉斎しています。
また社伝等によると、和銅元年(708)に、丹波国司大神朝臣狛麻呂が
霊域に社殿を建立され、延長5年(927)に編纂された『延喜式』
「神名帳」にも記載された古社です。
社蔵の棟札によると文和元年(1442)には管領細川政元の本殿造営と
その後明応元年(1492)を始めとする修造、屋根葺替えが行われています。
現在の社殿は、天和3年(1683)に造立された一間社流造、檜皮葺の
建物です。
亀岡市内で妻に二重虹梁大瓶束を用いた早い事例であり、京都府の登録文化財
となっています。
また、社宝として全国に三幅といわれる円山応挙の絵馬の一つが保存されています。
*********

なんだか、この穴太という場所は、はじめてきたような感じが全くしない
懐かしさの漂う土地でした。
まあ、私の生まれた田舎に似ているからかもしれません。
いずれは田舎で、ゆっくりと時を過ごしたいものです。
出口王仁三郎の遺言
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