2012'09.24 (Mon)
奥州藤原氏の栄華を偲ばせる平泉・中尊寺

奥州藤原氏の栄華を偲ぶ中尊寺。
宮沢賢治の生まれた花巻。
そこはかつて奥州藤原氏の栄華を誇った黄金文化の町でもあります。
最も有名なのは、金色堂でおなじみの中尊寺です。

な、なんですか?このコンビニの色は?
今では、世界遺産に登録もされ、深夜まで営業するコンビ二も、
赤や緑と言った目立つ色の看板で、景観をこわさないように
配慮されているのだとのこと。

付近のコンビにはセブンイレブンも、サンクスも全部モノクロ色です。
東京ではありえないですね、モノクロのコンビニ。さすが世界遺産平泉。

樹齢何百年といわれる大杉の並木に囲まれた静かな月見坂を上ると、
弁慶堂があります。

ここには、実物大と言われる弁慶の像があります。

軽く2mは超えているでしょう。隣(中央)が義経でしょうか。
そして、こちらが金色堂。

金色堂は、お堂の柱も床も、仏像もすべてが金箔で造られており
荘厳な雰囲気を醸し出しています。
この写真は覆堂(おおいどう)といって、金色堂の外側を覆っている
建物で、金色堂の風化や破損から守っている建物で、この中に、
金色堂がまるっと収まっています。
イメージでいえば、金閣寺のような感じです。撮影禁止なんで。^^;
この金色堂の仏像の下には、奥州藤原氏4代領主の遺体が葬られています。
奥州藤原氏 初代清衡・2代基衡・3代秀衡・4代泰衡。
奥州藤原氏は3代で滅びたと言われていますが、実際、奥州藤原氏の
栄華を誇ったのは3代。
最後の4代目が、滅ぼされてしまったのです。

こちらは、昔の覆堂の中です。かつてはこの中に金色堂がありました。
藤原、の文字が見えます。
源義経が京を落ち延び、奥州藤原氏を頼ってやってきたとも
言われている平泉。
義経は死んだとも、モンゴルに渡ってチンギスハンになったとも
言われていますが、事の真相はわかりません。

奥州平泉は、歴史の謎を今に遺す、いにしえの、うたかたの夢の跡です。
中尊寺千二百年の真実 義経、芭蕉、賢治…彼らを引き寄せた理由
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